そもそも「美(芸術)は人々のためにある」-これが宗悦・宗理に共通する考え方であり、19世紀末から20世紀にかけて世界の芸術家たちの中で通奏低音のように流れていた思想です。美が王族貴族のものから中産階級、そして一般庶民のものになっていった。最近は「自分のためのアート」ですけどね。
宗悦は美術品や骨董(こっとう)の世界とは一線を画し、各地で見つけた名もなき美しいものを日々の生活の中で使った。一方、若い宗理は美しいだけでなく、マスプロダクション(大量生産)により「求めやすい価格」を実現し、新素材や技術も取り入れて耐久性や機能にもこだわる日常品を目指した。それが宗理の「人に奉仕する美」であり、今さら手仕事を推す宗悦は「後ろ向きの骨董屋」だというわけです。
ところが戦後、宗理はデザイン活動の中で手仕事に関わっていく。もともと手仕事の中にある美は認めており、それをどう次世代につなぐかをプロダクトデザイナーの視点で考え始めるのです。戦前に(コルビュジェの協力者で仏人デザイナーの)シャルロット・ぺリアン(1903~99年)が調査で来日した際、彼女の助手を務めたことが大きい。カビくさいと敬遠していた手仕事にペリアンが夢中になるのを見てショックだったのでしょう。
陶芸家の河井寛次郎(1890~1966年)さんら、民芸運動の仲間も父の才能を認め、腕利きの職人を紹介するなど支えてくれました。宗悦も積極的支援はしませんでしたが、明らかに宗理を認めていたと思います。
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